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最高裁判所第二小法廷 昭和39年(行ツ)93号 判決 1965年10月15日

岡山県児島市味野三七二二番地

上告人

小橋梅乃

上告人

小橋信子

岡山市門田屋敷一二三番地

上告人

小橋滋

東京都世田ヶ谷区玉川奥沢町三丁目二九二番地

上告人

末利康乃

福山市北吉津町九二〇番地

上告人

河村邦子

岡山市万成五一七番地

上告人

光田和子

右六名訴訟代理人弁護士

板野尚志

岡山県児島市味野

被上告人

児島税務署長

高橋勇喜

右当事者間の広島高等裁判所岡山支部昭和三七年(ネ)第七八号更正決定取消請求事件について、同裁判所が昭和三九年八月二八日言い渡した判決に対し、上告人らから全部破棄を求める旨の上告の申立があつた。よつて、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人板野尚志の上告理由について。

論旨は、要するに、所論海運所得、雑所得および精算差益が上告人らの先代小橋賢郎に帰属すると認めた原審の判断に所得税法第三条の二の解釈適用を誤り、経験則違背、審理不尽、理由不備の違法がある、という。

しかし、原審の所論判断は、その挙示の証拠に照らせば是認し得ないわけではない。それ故、論旨は排斥を免がれない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 奥野健一 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外)

○昭和三九年(行ツ)第九三号

上告人 小橋梅乃

外五名

被上告人 児島税務署長

上告代理人板野尚志の上告理由

原判決には理由に不備な点があり、判決に影響を及ぼすこと明かなる法令の違背が存する。

一、本件は所得税を賦課するにあたつて、その収益の帰属者が誰であるか従つて、当該収益を前提とする課税は誰に対して実施さるべきかの点をめぐる争である。ところで、所得税の賦課については、いわゆる実質課税の原則ないし課税上の実質主義ということが唱えられている。その意味の概要は、発生した所得の基因となる資産又は事業の名儀人の如何を問わず、また、取引ないし契約の名目や形式等の如何にかかわらず、其の所得の真実の帰属者は誰であるか、又、その取引なり契約なりによつて表わし、実現しようとしている事態の真の姿が何であるか更に、その取引なり契約なりを通じて当事者相互の間に於てどの様な所得(又は負担)の帰属と移転とが実質的に生じているかを見極め、それら真実の所得の帰属者に対し、或はそれら真実の姿ないしは関係に従つて課税を行うべきであるという原則と解せられる。これは各国の所得税賦課についての原則であり、又古くから唱えられているところでもある。わが所得税法第三条の二も「資産又は事業から生ずる収益の法律上帰属するとみられる者が単なる名儀人であつて当該収益を享受せず、その者以外の者が当該収益を享受する場合に於ては、当該収益については、所得税はその収益を享受する者に対してこれを課するものとする。」と規定して、この原則を明かにしている。そして事業所得の帰属について「事業所得が何人の所得であるかについては、必ずしも、事業の用に供する資産の所有権若しくは賃借権者、免許可事業の免許可名儀者若しくはその他の事業の取引名儀者、当該事業に従事する形式等にとらわれることなく、実質的に当該事業を経営していると認められるものが何人であるかによりこれを判定するもの」とする昭和二六年一月付国税庁長官の通達も、この理を詳にしたものであろう。

従つて、本件の如く事業の所得の実質的帰属者を判定するにあたつては、免許可事業の免許可名儀の如何、業務担当者がその所得を給与所得と称していたかどうか、業務担当者が交際費名儀の給付を受けていたかどうか等形式的な事実のみを資料にしてはならないものといわなければならない。そして、若し上掲判定の資料の全部が形式的事実であるか、或はその殆どが形式的事実であつて、所得帰属に関する実質的な根拠が示されないときは、所得税法第三条の二に反するか、又は経験則(実質課税の原則の適用上形式的事実を中心とする資料によつて所得の帰属を判定する態度を極力避けようとするのは、課税上の経験則でもある)に違反するものといつて差支えなかろう。

二、原判決は、次の四つの事実を夫々確定して、小橋塩回送店玉島営業所、同山田営業所、同牛窓営業所の名称でなされた事業から生ずる収益は、何れも上告人等先代に帰属する旨を判示している。

(一) 先づ第一に、前掲三つの営業所は一定の地域を担当し、先づ日本専売公社の命により、日本塩回送株式会社が小橋塩回送店に対し塩の種類数量を指示して運送を指図し、小橋塩回送店は右各営業所を指図し、右各営業所はその指図に従つて運送ないし小橋塩回送店の名において運送の取扱いをしていたことを挙げている。右認定の如く小橋塩回送店が三つの営業所に対し回送の指図をしていたとしても、それは日本専売公社に発し、日本塩回送株式会社、小橋塩回送店と逐次に伝つて来た指図にもとづくものであつて、そのこと自体各営業所の事業が小橋の営業であることを意味するものではない。却つて原判決理由中の「右各営業所が、回送塩の運送を委託した先への運賃支払は、主として右各営業所においてなされているが……」の認定より、各営業所は回送塩の運送について自由に運送人を選択し、その運賃の決定、支払等を自己の判断と責任に於てなしていたことを推測させ、各営業所の主宰者が事業の危険を負担していたものと考えられるのである。又、右営業所が小橋の名において運送の取扱いをしていたのは、所謂名板貸の慣行にもとづくものである。いうまでもなく、名板貸は名板貸人の名声、信用等を利用する目的で名板借人が、既に名声を博し信用を得ている商号の使用について、名板貸人の許諾の下にこれを使用することである。そして、取引の安全を確保する目的から法は名板借人の取引につき、その相手方に対する名板貸人の特殊な責任を認めてはいるが、此の場合、名板貸人と名板借人の事業は全然別個のものであることにかわりはない。又、名板貸の慣行は甚だしく普及し、課税技術上も数多くの問題を提供していることは、公知の事実である。所得税法第四六条が「法人に十五以上の営業所のある場合において、営業所の一定数以上の所長、主任等が、前にその営業所で個人として同一営業を営んだことがあり、現在営業所の事業を主宰していると認められるときは、一定の場合を除き、右所長、主任等が収益の帰属者として推定して差支えない。」旨を規定しているのもこうした傾向を物語るものではなかろうか。勿論、玉島、山田、牛窓の各営業所の営業が、所得税法第四六条にあてはまるというのではないが、少くともこれら営業所が小橋塩回送店名を使用していたということから、収益の帰属者を小橋だとすることが大きな誤りであることだけは容易に理解出来るところである。

(二) 第二の理由として、前記各営業所の取扱つた取扱い運賃は、小橋塩回送店から日本塩回送株式会社に対し一括して請求し支払を受けながら、小橋がその取扱い運賃の全額を受領後、直ちに各営業所に支払つていないこと、右各営業所が回送塩の運送を委託した先(例えば日通)への運賃の支払いは主として右各営業所に於てされているが、小橋から直接なされることもあつて一定していないこと、右各営業所におけるその他の経費についても、適宜交際費などの名目で小橋から出捐を受けていることを挙げている。およそ、或る企業に対する聯結の密度(従属性)は様々であり、法制上も従業員から下は代理商(商法第四六条)問屋(同法第五五一条以下)準問屋(同法第五五九条以下)にいたるまで、いくつかに区分することが出来よう。そして、問屋又は準問屋が、委託者に対し法律的にも経済的にも密接な関係に立ちながら、独立した商人であり、委託者とは別個の損益の帰属主体であることは、多言を要しないところである。そして、これら商人は委託者の計算で取引をするにしても、常に必ずしも相手方より受取つた商品又は金銭を、直接委託者に交付しているのではない。本件において、各営業所の運賃受領事務の委託を受けた小橋が、恰も右問屋又は準問屋的立場に立つて、日本塩回送株式会社より受託運賃を受取つたとすれば、受領した金員をそのまゝ各営業所に交付しなかつたとしても怪しむに足りない。従つて、運賃受領事務につき、小橋が問屋又は準問屋的関係にあることも考えられる本件において、単に受領した運賃をそのまゝ各営業所に渡していなかつたからといつて、各営業所が損益の帰属主体ではないとする根拠にはならない。(原判決は小橋が各営業所の計算において運賃授受の事務を遂行していたかどうかについて、殊更に判断をしていない。)

既に指摘した通り、各営業所が回送塩の運送を委託するにあたつては、運送人を選択しなければならず、又選択した運送業者との間に、運賃その他損益に直接関係のある事項の取決めをしなければならなかつた。そして原判決の指摘する通り、これら運送人に対しては殆ど直接運賃の支払をしていたのである。このように営業所の業務の中で中心をなす事項につき、自己の判断と責任において遂行されていたところからみて、各営業所の主宰者は、小橋に従属することなく事業の危険を直接負担していたものと断定して差支えない。判決理由別紙第二(ロ)によれば、小橋が交際費名儀で各営業所に交付した金員は、「訴外日本塩回送株式会社が、上告人の担当していた輪送地域の陸上小運送を直営することとなつた際、上告人が訴外会社から受取つた右運送により生じた利益の七割の分配金であつて、日本塩回送株式会社の小橋に対する損失補償の性質を持つものと判断したようである。そうだとすれば、小橋は右金員を一定の比率で各営業所に分配したのであるから、それに交際費なる名称を付していようとも、損失補償金の再分配とみるのが、むしろ自然なのではなかろうか。のみならず、小橋塩回送店の帳簿上、各営業所に対する前掲分配金が、交際費として処理されていたとしても、原判決は、各営業所の交際費計算を証する資料及びこれに基く、小橋に対する各営業所の請求があつた旨を判示していないところからみて、通常の本店と営業所との間に存する計算関係を推定することは出来ない。何れにせよ、小橋が損失補償として受取つた金員を、交際費名儀で各営業所に交付したからといつて、原判決の結論を支持する理由にはならない。

(三) 第三の理由として、小橋塩回送店玉島営業所責任者片山恒雄、同牛窓営業所責任者木下英一が小橋塩回送店を給与支払者とする給与所得の申告をし、同山田営業所責任者三宅勉が、その翌年給与所得の申告をしていることを挙げている。

しかし、右申告に基いて上告人が税額を納付するに際して差出すべき納付書及び徴収高計算書の存在を肯認する個所は何処にも存しない。給与所得の支払をなす者は、結与の支払をなす際に、賃金から一定の額の所得税を徴収して、政府に納付する義務を有しており、(所得税法第三八条)その際、納付書と計算書を添えなければならないことになつている。(同法第三九条)ところで、事業所得者が、健康保険法の被保険者資格獲得のため、しばしば給与所得者としての外形を整えようとしたことは公知の事実であり、こうした事情と、原審における前記納付書及び計算書の存否についての判断の懈怠とを併せ考えると、給与所得の申告書は、みせかけのものではないかとの疑いを起させる。それにもかゝわらず、原判決が営業所の責任者において給与所得の申告書を提出していたということをもつて、小橋が実質的な損益の帰属者であるとするための根拠とし、上告人指摘の事実を顧みなかつたのは、実験則に違反する違法な判断といわなければならない。

(四) 第四の理由として、小橋塩回送店が昭和三〇年一〇月法人組織に改められ、小橋塩回送株式会社が設立された際、各営業所の責任者との間に、同各営業所の営業権の買収が行われたと考えられる相当な金の授受がみられず、株式も殆ど小橋及びその親族の所有であり、各営業所の営業権が現物出資されたものとも考えられないことを挙げている。ここに所謂営業権とは、法律上の権利ではなく、営業に固有の事実関係であつて、財産的価値あるものを云い、営業上の秘訣、意意先、創業の年代、名声、仕入先、経営の組織、地理的関係等から構成されているところのものであろう。立入つていえばそれは、客観的意義の営業の一部を構成するものとして、必ず営業と共に譲渡又は移転されるものである。包括的一体としての企業が譲渡された場合に、その各個の構成資産の総計から承継負債総額を差引いた残額、即ち純資産に対し、対価として与えられる反対給付が純資産価値を越える部分がのれんであり、営業権なのである。(企業会計原則又は財務諸表規則で営業権というのは、のれんと同意義と考えられる。貸借対照表原則四B財務諸表規則第二七、二八条)およそ、営業の譲渡又は移転に際して支払われるべき対価は、その収益力を基準として資本還元方法により導かれた金額によるべきであろう。従つて、営業の収益力が乏しければ乏しい程支払われる金額は少額となり、観念的には対価の支払いが全然ないときも存し得るのである。これは営業財産の評価の理論であるが、此の理くつは実際の対価決定に当つて、常に作用しているものと考えられる。それ故、収益力の乏しい営業を譲り受けるとき、純資産に対してその客観的価値以上の反対給付が出来ない場合が多く存することも想像に難くない。ところで我が商法には、右の意味での営業権についての貸借対照表能力及び評価について直接の規定がなく、ただ有償による承継取得の場合にその貸借対照表能力を承認するという説が唱えられていた。これに対し、企業会計原則及び財務諸表規則は、右営業権の無形固定資産の一つとし(貸借対照表原則(一)B財務諸表規則第二七、二八条)企業会計原則によると、無形固定資産は、有償取得の場合に限り、その対価をもつて取得価額とされる。(貸借対照表原則五E)又、改正商法はのれん(営業権)は有償で譲り受け、または合併により取得した場合に限り貸借対照表の資産の部に計上することが出来、この場合には、その取得価額を付し、その取得後五年内に毎決算期において均等額以上を償却することを要する旨を定めた。(商法第二八五条の七)これら諸規定は何れも我が国企業間の会計慣行を法文化したものであるから、我が国の実際界では営業権の無償譲渡が案外多いことを物語つているのではなかろうか。果してそうであるとするならば、各営業所の責任者との間に各営業所の営業権の買収が行われたと考えるに足りる相当の金の授受がみられない事をもつて、営業所の非独立性認定の根拠とすることは我々の常識に反するところである。又、営業権の無償譲渡なるものが世上往々存するとすれば、営業権を現物出資としていないからといつて、これ又原判決のような推論の根拠とはなし得ない筈である。何れにしても、原判決は経験則に反する違法な認定を敢てしたことに変りはない。

以上、第一乃至四の各事実は、何れもそれだけでは小橋が損益の帰属主体であるとの認定の資料としては不十分であるか、(第一、三)全然認定の資料とならないか(第二、四)の何れかである。そして、右不十分な事実は、何れも単に形式的なものであつて、この二つを併せ考えるも、到底原判決の結論を導くことは困難である。これに加えて、各営業所の海運収入の必要経費算定にあたつて、小橋の申告分の海運収入と必要経費との百分比を適用しているのは、全く根拠のない独断という外はない。原判決が右の百分比を適用するためには、少くとも各営業所の支出科目及び科目毎の支出額が、小橋の支出科目及び科目毎の支出額と相似性を有することを確定すべきであつて、此の点についての審理を怠つた原判決には、救済すべからざる不備が存する。何れにしても原判決は理由に不備であり、又判決に影響を及ぼすべき法令の違背が存するとなす所以である。

そこで、原判決を破毀して、上告状表示の御判決をされるよう、本上告理由を提出するものである。 以上

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